🚂 教室のすぐ近くを通る「幻の大動脈」と、歴史が交錯する緑道
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こんにちは!個別指導Axis志免南里校、教室長のあなざわです。
散歩を兼ねて志免町の公園へと足を延ばしてきました。
目指すは、志免町の絶対的なシンボルである「旧志免鉱業所竪坑櫓(たてこうやぐら)」。しかし、そこへ至る道中にも、この町の歴史を語る上で外せない大切な痕跡が残されています。
🚂 もしも今もあったなら……旧国鉄「勝田線」の記憶
竪坑櫓へ向かう途中、まずはかつてこの地を走っていた旧国鉄・勝田線の跡をたどり「志免駅跡」(鉄道記念公園)を経由しました。現在も当時のプラットホームや線路、あるいはどこか哀愁を誘う「しめ」の駅名標が綺麗に残されています。
歴史をひもとくと、この勝田線は起点の吉塚駅を出たあと、しばらく現在の福北ゆたか線(篠栗線)と並走し、現在の柚須駅のすぐ近くをかすめるようにして志免・宇美方面へと大きくカーブを描いて進んでいました。さらに、現在の香椎線の前身である私鉄(博多湾鉄道汽船)などとこの勝田線が、この糟屋の地で鉄路を交錯させていたといいます。
当時はこのネットワークが、日本の近代化を支える石炭輸送の巨大な大動脈として機能し、ひっきりなしに貨物列車が行き交っていたことでしょう。
しかし、エネルギー革命によって炭鉱が次々と閉山すると、貨物輸送は激減。全国的な国鉄ローカル線廃止の波にのまれ、乗客の減少もあって、勝田線は1985年に廃線となってしまいます。
「でも、この路線がもし、あのまま残っていたなら……」
線路跡を眺めていると、どうしてもそんな「もしも話」が頭をよぎります。
廃線当時、志免や宇美は福岡市のベッドタウンとして人口が爆発的に急増していました。本来なら通勤・通学の大動脈へ大化けするポテンシャルを秘めていた時期です。
しかし、当時の国鉄はすでに巨額の累積債務を抱え、実質的な経営破綻状態にありました。新しい設備を投資する余裕もなければ、ダイヤを増やす意欲もない。1日わずか数往復、それも手動ドアの古い客車が走っているような状態では、1時間に何本も走らせる西鉄バスの利便性には到底太刀打ちできませんでした。
「国鉄再建」というマクロな大号令の下、一律の基準で切り捨てられていった地方路線。沿線人口が増えているという「地方の未来」がありながら、それを活かすための経営策が講じられないまま、ひっそりと幕を閉じる。
どちらの立場にも、当時の末期的な国鉄の事情と、利便性を追求した住民の選択という、切実な理由があったのだろうと感じます。
🚉現代の日常に息づく、夢の跡と「南里」の謎
そんな大動脈の夢の跡はいま、志免南里校のすぐ近くを通る「緑道」として美しく整備され、当時の線路跡を歩いてたどることができるようになっています。
この緑道、おもしろいことに一部は「ヤマダ電機」の裏手を通り、「イオンモール福岡」の広大な駐車場のあたりを通り抜けて、かつての「志免駅跡(志免鉄道記念公園)」へと繋がっているのです。
実は、ヤマダ電機のすぐそばにある大きな交差点の名前は、今でも「南里駅前」となっています。「勝田線の現役時代にそんな駅はなかったはず……」と思われる方も多いかもしれません。実際、戦後の国鉄時代にそんな駅は存在しなかったのですが、なぜこの名前が遺っているのか――その面白い歴史の裏話は、また別の機会に「外伝」としてじっくりお話しさせてください(笑)。
生活道路や開発によって、鉄道の記憶はところどころ途切れてはいるのですが、ここで一つ、現地を歩いていて少し気になる「謎」に突き当たりました。
イオンモールの駐車場の外周に沿って歩いていると、一般の歩道とは別に、出入口が塞がれた「農道」と書かれた謎の通路(スペース)が。一見すると何のためにあるのかよく分からない奇妙な空間で、おそらく気づかないで通り過ぎている方も多いのではないかと思われます。これが手前の緑道からゴールの公園までをMap上で繋いでみると、綺麗に一本の線で繋がるように見えます。
このルートの正確な公式エビデンスを見つけることはできなかったのですが、おそらくここがかつての鉄路の跡だったのではないかと思われます。
ところで、イオンモールの住所は実は粕屋町。最初は「町の境界の都合(自治体の管理の違い)か」とも思ったのです。(この勝田線跡の緑道も、志免町内は未舗装で、宇美町に入るときれいに舗装されていたりします。)しかし、今回のイオンモール周辺に関しては、地図で境界線を見る限り、そうした自治体の境目とも綺麗に一致しているわけではないようです。
としても、なぜ途中までは「農道」という形で残し、その先は駐車場になってしまったのか謎ですが。このあたりの経緯など、ご存じの方がいらっしゃいましたら教えていただければと思います。
ちなみに、反対側の吉塚方面に向かって歩みを進めると、かつて片側だけの小さなホームがポツンと佇んでいた「上亀山駅」の跡地へと行き着きます。今では静かな住宅街の散歩道として地域に溶け込んでいますが、さらにその先へと進むと、かつての「御手洗(みたらい)駅」の跡地もまた、綺麗な公園(御手洗鉄道記念公園)として今にその姿を遺しています。
🤝 歴史の迷宮と、子どもたちの学び
時代とともに役割を変え、形を変えながら、今も私たちの足元にひっそりと伏線を遺してくれている。
そんな地域の歴史を肌で感じながら歩いていると、「これって、子どもたちの勉強と同じだな」とふと思いました。
今、学校で習っている社会や地理、歴史の教科書。ただの暗記モノとして見ると退屈かもしれませんが、実は私たちが毎日通っているヤマダ電機の裏や、イオンの駐車場の足元に、その「答え」や「ドラマ」が隠されているんですよね。
複雑に絡み合った歴史の謎をひもとくように、勉強だって「あ、ここが繋がった!」という瞬間が一番面白い。子どもたちにも、ただ点数を取るためだけじゃない、そんな「身の回りの世界がガラリと変わって見えるような面白い学び」を届けていきたいな、と改めて気が引き締まる散歩になりました。
この町の空を貫く巨大なシンボル(竪坑櫓)のもとへたどり着く前、足元の歴史に心地よく迷い込んだ教室長でした。
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