岸本 健太郎さん
中央大学法学部法律学科
長崎南高出身
北松浦郡佐々町立佐々中学校
北松浦郡佐々町立口石小学校
高校卒業から3年。いまだに大さんに叱られ続けています(笑)
私は高校2年の2学期に入塾して、それ以来進路選択をサポートしてもらっています。読書や文章を書くことが好きで、入会当時から新聞記者に憧れていました。大さん(校責任者)は出版社出身で、メディアの第一線で活躍する知人も多く、職業選択も視界に入れた大学受験をサポートしてくれました。毎週の教科授業についても「苦手の克服より得意分野を伸ばす」ことを支持してくれたので、自分らしい学習計画を立てて強みを生かすための高校生活を満喫しました。
今、私は大学3年生。いよいよ憧れの職業に就くための具体的な活動を精力的に続けています。就活についても大さんからキーパーソンを紹介してくれたり随所に助言を貰ったり。「健太郎はプロになりたいんだろう!」と高校時代から言葉の使い方には厳しかったですが、今でも頻繁に喝を入れられています(笑)。
前田 涼晟(りょうま)さん
防衛大学
長崎東高出身
新上五島町立上五島中学校
新上五島町立上郷小学校
自己実現のために塾外のことも、しっかりサポートいただきました
私は高3の1学期に入塾しました。コロナの影響で学校の授業が長期見送りになり高校総体が中止になるなど、大学受験に向けて大きな不安しかない中での入塾でした。
長崎県庁坂校はユニークです。目標に向けて“自分自身で計画を立てる”ことを徹底します。志望校受験に向けて自分自身でスケジュールを明確化し、「いつまでに、何をやるか?」も自分自身で作戦を立てて実行します。7月の学校の三者面談前後に、一度志望校選択に迷いが生じましたが再度入念に検証した結果、初志貫徹こそ最善策だと確信してチャレンジ。無事合格しました。
入試直前に台風接近が予想された際、万全を期して上京を繰り上げることを提案いただき、旅券や宿泊の予約変更や担任団への情報共有もすべて塾がやってくれました。おかげで私は受験準備に集中することができました。受験科目の対策だけでなく塾外との交渉などもしっかりサポートしてくれるので、安心して自分のやるべきことに専念できることが長崎県庁坂校の特長です。
松浦 采海さん
和洋女子大学
長崎東高出身
長崎市立戸町中学校・戸町小学校
AO入試の対策も万全。「全く言うことなし!」と入試本番ではお褒めの言葉をいただきました
私は幼い頃からウエディングドレスのデザイナーに憧れていました。高校までは普通科を選択しましたが、大学進学は服飾デザインを1から学びたいと希望していました。こうした私の進路希望を相談できる人が少なく困っていた高校3年の1学期に、大さん(塾長)に出会いました。
「服飾デザイナーになる」という私の夢を最大限尊重してくれて、国公立大学、私立大学、専門学校などの中から私の夢を実現できそうなコースをピックアップしてくれて、入試制度についても一般入試に限定せずにAO(自己推薦)入試などあらゆる方法を検証してくれました。沢山意見交換を重ねた結果、和洋女子大学を第一志望としてAO入試で挑戦しました。
志望理由書の作成、入試で課せられた5分間のプレゼンテーションもしっかりサポートを受けました。自分の想いを言葉に換えていく作業は本当に楽しいです。中高ダンス部だった私ですが、AO入試の準備を通じて言葉を使う表現方法の面白さを経験することができました。今では貴重な財産になっています。
入試本番では3人の試験官を前に「大学で学びたいことと将来の夢」をテーマにプレゼンしました。試験官の先生方に「あなたのプレゼンは(素晴らしくて)何も言うことありません」とのお言葉をいただきました。続けて「あなたの学校は地元では有名な進学校のようですね。本校よりももっと偏差値の高い学校も狙えたのではありませんか?」と尋ねられました。「私は服飾の勉強をしたくて貴校を選びました。偏差値は関係ありません」とお答えしました。今もその気持ちは変わりません。
和洋女子大学 関連記事
https://www.wayo.ac.jp/academics/home_ec/costume_art/fukushoku_blog/tabid/355/Default.aspx?EntryID=1637
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坂 健介さん
京都橘大学
(長崎東中学・高校出身)
長崎市立諏訪小学校
学校をつくる夢に向かって前進中。県庁坂校での4年間がボクの人生の下地です
中学3年生の夏休み明けに母と県庁坂校を訪ねた日のことを強烈に覚えています。低迷していた当時の成績表を見た大さん(校責任者)に「中途半端な成績は嫌いだ。いっそのこと学年でビリまで沈め!トップでもビリでも1番を目指せ」と真顔で一喝されました(笑)。中学受験後に「二度と塾など行かない!」と決めていた私は、この変なオトナ(ダイさんすみません)との出会をキッカケに、塾通いを再開しました。
指導者は大学生のお兄さんやお姉さん達。親身になって勉強の苦手な私をサポートしてくれました。過度の緊張ではなく、適度なリラックスと休息によって生産性を上げることを重視する教室の雰囲気が私には合っていました。
高校2年生の2学期が転機となりました。学校のペースに合わせるのではなく、自分自身のペースで自らの夢を実現する覚悟を決めたのです。「俺は学校をやめるなとも、やめろとも言わない。健介自身の人生だから健介の選択を尊重する」と大さんに伴走してもらいました。中高5年弱通った学校を離れました。
今年の4月、京都橘大学に進学しました。小学校の教員免許と日本語学校の教員資格の取得を目指しています。一方的な評価ではなく、認めることで(生徒達の)いい点を伸ばす。できないことを責めずに得意なことを見つめるー いつか、そんな学校をつくることが私の夢です。
追伸:学業の傍ら、京都で人力車を引いています。古都にお越しの際は是非ご利用ください!!!(笑)
関連記事(西日本新聞2021年4月1日)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/716338/
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古賀 七海さん
関西学院大学総合政策学部国際政策学科
活水高校出身
長崎市立小ヶ倉中学校・小ヶ倉小学校
充実した高校3年間を経てグローバルを目指して関学へ。高校生英語プレゼンコンテスト入賞も自信になりました
2017年3月14日に開校したAxis 長崎県庁坂校の入会第一号が私です(笑)。高校受験まで1年を切り、本格的な受験勉強に入るために塾探しをしていました。開校したばかりだし、指導者はプロ講師ではなく地元の大学生がほとんどです。その点、両親もとても不安を感じていました。周辺の学習塾の体験授業もいくつか参加しましたが、最終的にAxis 長崎県庁坂校への入会を決めました。
当時から英語が好きだった私は、CA(キャビンアテンダント)などの仕事に憧れていました。高校でも英語をしっかり勉強したいとの思いから活水高校の英語科に進みました。毎朝の礼拝は自分自身と向き合うとても貴重な時間となりました。充実した高校生活の中でも大切な思い出の一つが「高校生英語プレゼンテーションコンテスト」での3位入賞です。
高校2年生の秋に塾長に相談すると、二つ返事で私の背中を押してくれて参加を決意しました。応募締切までわずか4週間弱で8分間の英語のプレゼン原稿を自力で作り上げることができました。最終選考には九州から28校が残り、その中で3位に入賞。その後の進路選択の大きな自信に繋がりました。
この4月から関西学院大学で国際政策を学んでいます。英語プレゼンコンテストのテーマだったSDGsが標ぼうする2030年に誰一人取り残さない社会の実現を目指す当事者の一人でありたいです。将来は国連のようなグローバルな舞台で働きたいです。
若杉 天馬さん
長崎医療こども専門学校
長崎海星高校出身
長崎市立小島中学校・小島小学校
勉強嫌なら中学卒業後は働こう、ご両親説得するから(苦笑)あれから3年。無事に高校を卒業して柔道整復師を目指しています
中学3年の2学期に高校受験の準備のために入会しました。その直前まで部活に熱中していた私はなかなか切り替えがうまくいかず、受験勉強に集中できないまま数週間が過ぎました。大さん(塾長)に呼び出されました。「天馬、勉強したくないんだったらわざわざ高校に行く必要ないでしょう。お父さんお母さんの負担も軽くできるように中学卒業したら働こうや。天馬が無理して高校進学しなくていいようにオレも一緒になって両親を説得するから」と檄を入れられました。
自分なりにしっかり考えて、やはり高校に行きたい気持ちは変わらず、それからは学校でも塾でも勉強に集中できるようになりました。入試前日、大さんにもらったメッセージカードに親への感謝の気持ちを記しました。入試の朝、「なんやかんや大変だったけどこの半年間楽しかった。ありがとう!」と母親に素直な気持ちを伝えて試験会場へと向かうことができました。
あっという間に高校3年間は過ぎて、今年4月から私は柔道整復師を目指して専門学校に進みました。高校受験の時と同じように、高校卒業時の自分の進路についても自分自身でしっかりと考えて高校の進路指導の先生方にも相談に乗ってもらいながら今の道に進むことを決めました。県庁坂校の皆さんも私の意思を尊重してサポートしてくれました。今は、自分のやりたい学びに没頭しているので、毎日がとても充実しています。
石井 雪乃さん
沖縄県立名桜大学看護学科
長崎南高出身
長崎市立山里中学校・高尾小学校
学校としっかり情報を共有してもらうことで、スムーズな進路選択が実現できました
私の夢は助産師になることです。高校入学した当初から大学は看護科に進み、その後助産師の資格をとることを想定していました。数学と化学の補強を目的に高校2年の2学期から県庁坂校に通うようになりました。12月に行われる学校の三者面談時には1年後の大学入試に向けて、自分なりの計画表を提示することができて、担任も私の計画を承認してくれました。「三者面談は自分の夢を実現するために、学校の理解と協力を得る機会。決して学校から一方的に叱咤激励やダメ出しされる場ではないよ」という大さん(塾長)の持論を実感しました。
高校3年に進級直後はとても不安でした。感染防止のために長期休校となり、小学校から続けてきたバレーボールの集大成ともいえる高校総体も中止になりました。しかし、後藤慶太校長はじめ学校の先生方や両親たちが懸命に私達を守ってくださっていることには感謝しかなく、自分のペースで学習を続けることができました。バレーボールも南北戦(南高VS北高)が実現し、仲間たちとの大切な最後の思い出を作ることができました。
長期休校明けに実施された定期テストでは数学で自己最高点を記録し、自宅学習期間中もコツコツ学びを続けた成果を実感できました。いよいよ本格的な受験準備を迎え、看護科二次対策の面接や小論文の準備を大さんと一緒に進めました。県庁坂校の保護者である現役看護師さんたちが医療に関する大切なことを沢山お話くださいました。長大看護科に在籍する指導者から、入念な模擬面接を受けました。彼女たちの応援を力に、志望校に合格することができました。大学での学びは厳しいですが楽しいです。時々大さんにレポートの相談もしています(笑)。初志貫徹。助産師めざしてがんばります!
山口 彩乃さん
新見公立大学看護学科(岡山県)
長崎東高出身
長崎市立深堀中学校・深堀小学校
「どうやってそこまで調べたのですか?」試験官が驚くほど入念な面接準備ができました
長崎の公立高校の卒業式は例年3月1日です。その日の早朝、新見県立大学の合格通知が届き、生涯忘れられない晴れ晴れとした気分で卒業式を迎えることができました。
私は高校進学時から看護科への進学を決めていました。「女性にしかできない、女性のための仕事を、女性として全うしたい」。助産師になることを目標に学校での学びと陸上競技に没頭した高校3年間でした。高校2年の2学期から県庁坂校に通塾を始めました。他塾でも体験授業も受けたのですが、開放的で自主性を尊重する雰囲気がマイペースな私には合っていました。
最終的な志望校として新見県立大学を選びました。4年制の看護科卒業後に1年間で助産師の課程を履修できるところが魅力でした。できるだけ早く医療の現場に出たい!という強い気持ちを持ち続けています。入試二次試験は面接と小論文です。塾長の大さんが現役の助産師さんと看護師さんにインタビューする機会を作ってくれました。看護師さんで県庁坂校の保護者の方が同僚の助産師の方と勤務時間終了後に駆け付けてくれました。
「彩乃ちゃん、卒業したら長崎で一緒に働こう!」。
先輩看護師さんたちのお言葉は私に大きな力を与えてくれました。岡山と長崎の医療体制の違い、周産期医療の現状と将来など夢中に調べて入試本番を迎えました。「どうやってそこまで詳しく調べたのですか?」。面接試験官のお言葉を今も忘れず学びを続けています。看護の学びは厳しいです。だけど好きで選んだ道だからとても楽しいです!
山﨑 いさなさん
活水女子大学健康生活学部子ども学科
長崎北高2020年3月卒
長崎市立桜馬場中学校・諏訪小学校
塾長が父親と勘違いされた時は、親子で大爆笑でした(笑)
高校でラグビー部のマネージャーだった私の受験準備は、花園大会(全国高校ラグビー選手権)の長崎県予選終了後の高校3年の11月から本格稼働。かなり遅いスタートでした。幼い頃から憧れていた保育士を目指し、保育士資格の取れる学部のある大学を九州一円の範囲で選ぶ予定でした。高3の夏は部活の合宿などで時間が取れず、オープンキャンパスに参加できたのは限られた大学のみでした。なので、受験校の選定は大さんと相談を重ねながら福岡と長崎に絞り込みました。活水女子大学と福岡の大学の両方合格することができました。しかし、福岡の大学はオープンキャンパスにも参加しておらず全く土地勘がありません。判断を躊躇しました。
一緒にキャンパスを見に行こうよ! 大さんが入試課の方と連絡をとって母と私と大さんの3人で福岡の大学を訪ねました。3月のキャンパスはすでに春休みでしたが、二人の女性教授が私たち3人を出迎え、応接室で懇切丁寧な説明を受けました。途中、教授が大さんに向かって「いかがですか?お父様」と投げかけ、私と母はが一瞬キョトン。「あ、私は父親ではないんです!」と大さんは自らの立場を説明し、全員で大爆笑しました。教授たちに2時間かけて校舎を案内いただき、是非ここで学びたいと思いました。それから1週間、親子で悩みぬいた結果、活水に決めました。福岡の教授たちからは「ご自身の進みたい大学に行くのが一番です!」と温かい祝福をいただきました。
大学生活も3年目を迎え、授業も実習も難しくなっていますが、保育士を目指して充実した日々を送ることができています。本当に苦しい葛藤の1週間の末に選んだ活水で卒業まで頑張り抜きます!
荒木 美帆さん
岡山理科大学獣医学部獣医学科
長崎西高出身
長崎市立小島中学校・小島小学校
AO入試の合格通知が届いた同じ日に、模試の厳しい判定結果も笑。合格から半年間しっかり大学入学の準備に専念できました
5歳の頃から獣医になることを決めていた私は、大学受験も獣医学部に絞って準備を進めました。獣医学部は国内に10数校しか存在せず非常に狭き門です。私は、岡山理科大学がこの年から始めたAO(自己推薦型)入試に挑戦しました。
一次試験は書類審査。「動物にも人にも優しい獣医師を目指す」という言葉に自分が目指す獣医師像を凝縮させました。高校の生物部の活動もしっかりアピールして無事に一次を通過。二次試験は「あなたは獣医師として生物多様性にどのように対応しますか?」というテーマのみが提示され、想定時間20分のプレゼンを準備しました。一次合格通知から二次(最終)試験までわずか12日。その間、学年末定期考査も重なりました苦笑。
最終試験に向けて、県庁坂校で集中してプレゼン資料作成に没頭しました。生物多様性について徹底的に調べ上げ、私自身の理想の獣医師像と結びつけ、わずか1週間で資料は完成しました。パワポ作成初挑戦のPC操作や、プレゼン練習も大さんにアドバイスいただきました。昔からお世話になっている獣医さんはじめ沢山の方の応援を受けて無事に合格できました。
2019年10月15日付の合格通知が届きました。同じ日に模試の結果も出ました。岡山理科大学獣医学部の合否判定は厳しかったです苦笑。「大学が本当に欲しい人財を獲得する方法がAO入試。テストの点数だけでなく人物本意の試験で選考されたことを誇りに思う!」と大さんが祝福してくれました。高校卒業までの5か月間、大学での学びに向けての準備に専念できました。だからこそ入学直後からしっかり気持ちを切り替えて、大学の授業の理解が進んでいます。動物にも人にも優しい獣医を目指して、充実した大学生活を送っています!